「卒業」
1969年9月、私は中国上海海運大学の海運技術管理部を卒業した。赤色の卒業証書【しょうしょ】を手にした時はまるで夢のようだった。私は涙ぐみ、ああやっと大学を卒業したのだと思いながら、先生方一人一人に感謝した。そしてやっと自分の希望していた会社に入れるんだという気持ちで学校を出た。
海運技術管理部というのは、一言【いちげん】で言えば海運の指導者を育てる学部である。その厳しさは言うまでもない。5年間に30科目位勉強して、船舶【せんぱく】の入港【にゅうこう】と作業、出港 【しゅっこう】と航行【こうこう】の指揮【しき】を始め、天文气象の観察、海図【かいず】の読み取り、海運計画の立案【りつあん】などができるようにならなければならない。特に3か月の船員と同じような航海実習 【じっしゅう】には、相当に頑張りが必要だった。もし神様がその頃の年齢に戻して下さるということになっても、「もう結構です」とことわりたいくらいつらいものであったが、海運大学おおかげで私はたくさん知識をものにした。そして祖国n海運最前線で活躍【かつやく】していたこの学校の同窓生と一緒に、国の「四化建設」のために頑張り、世界各国人民の友好のために努力しようと思った。またこの卒業は新しい人生の始まりだとも思った。
ところが学校を出た時はちょうど文化大革命【かくめい】の時期だったので、当時国内は革命一色【いっしき】で、識者 【しきしゃ】は「思想改造」しなければならないと言われていた。私のような大学卒業者も識者だと言われ、工場へ思想改造に行かなければならなかった。従って、自分が好きで習った海運専門の仕事をすることができず、毎日労働者と一緒に肉体労働ばかりをすることになった。このようなことが7年ぐらいずっと続いたので、止むを得ず、海運専門を離れた。
海運大学で学んだことを生かして国にために一生懸命頑張そうと、胸をふくらませ卒業した私は、自分の理想を実現【じつげん】することができなかった。卒業するのが20年おそかったらと、ふと思う時がある。本当に残念だった。
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