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【天声人語】

2005年05月04日(水曜日)付

朝日新聞阪神支局に入る。この支局に来るたび、2階の編集室に向かう階段の途中で立ち止まる。87年の5月3日の夜8時過ぎ、この階段を、銃を持った男が上って行った。そのおぞましい気配を、今も感じる。  細長い編集室の奥の壁に、射殺された小尻知博記者の写真を掲げた小さな祭壇がある。事件には法的な時効があっても、無念の思いに時効は無い。改めて冥福を祈り、凶行への憤りを新たにする。  合掌しつつ、この社会がおびただしい犠牲を払って、ようやく戦後手にした言論の自由のことを思う。この原則は、社会や国家が暴走しないための大切な歯止めの一つだ。それを、暴力の前に揺るがせてはならない。  本社から支局や総局に行く時、「厳粛な里帰り」という言葉を思い浮かべる。外で取材してきた若い記者が先輩やデスクと話す姿は、昔と変わらない。懐かしさと厳しさを感じるそのやりとりから、記事が生まれる。支局とは、新聞社が、読者や市民や町と出会う最前線であり、まだ真っ白な明日の紙面を一からつくる現場だ。あの夜、そうした支局員らの語らいを銃弾が襲った。支局に保存されている小尻記者が座っていたソファには、損傷があまり見られない。散弾が体内で炸裂(さくれつ)したからだ。  支局の入り口に、1本の桜がある。大木ではないが、長くこの地に根を張り、記者らの往来を見続けてきた。局舎の建て替えは決まっているが、支局では桜は残したいという。  東京へ戻る新幹線は、連休さなかで満席だった。バッグから憲法に関して気になる本を取り出した。

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2005年05月05日(木曜日)付

阪神方面から帰京する新幹線で、『「映画 日本国憲法」読本』(フォイル)を開いた。この妙なタイトルには多少の説明が要る。  4月下旬、東京で「映画 日本国憲法」(ジャン・ユンカーマン監督)の上映会があった。日本国憲法について世界の知識人が語るドキュメンタリーで、初回に約700人が来場した。当方は立ち見だったが、100人ほどが入れなかったという。  映画をもとに構成したのが『読本』だ。「日本は立派な国家です。しかし、自分自身の声で発信し、アメリカと異なるアイディアを明瞭(めいりょう)に示す勇気をもつことができませんでした」。日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』でピュリツァー賞を受けた歴史家ジョン・ダワー氏だ。「(日本が)アメリカのような『普通の国』になりたいというのなら、現時点で恐ろしい話ではないですか……アメリカはますます軍事主義的な社会になってきているのですから」  国内に「改憲ムード」が広がっているようだ。確かに憲法と自衛隊との関係はねじれている。しかし例えば日本が「軍隊を持つ」と表明することの重みがどれほどになるのか、詰めた議論が世の中に行き渡っているとは思えない。  日本や世界の未来が米国に左右されかねないという時代に、米国との関係をどうするのかも緊急の課題だ。改憲案より、どんな国をめざすのかを詰める方が先ではないか。  家族連れの多い新幹線の中を見渡す。将来、わが子が軍人になり、外国の戦場に行く。そんなことを思いめぐらす親など、いそうもなかった。

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2005年05月07日(土曜日)付

JR西日本の凄惨(せいさん)な脱線衝突事故から10日あまりたった。深い傷を負い、今も入院している乗客も多い。体の傷だけではなく、心が負った傷の影響も心配だ。  いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のTはtraumatic(トラウマ的)の頭文字だ。近年よく指摘される「惨事トラウマ」が注目されるきっかけになったのは、19世紀の後半から急増した鉄道事故だった(森茂起『トラウマの発見』講談社)。  鉄道は、近代の機械化、高速化の象徴だ。「それはまさに飛翔(ひしょう)である。そしてつまらぬ事故で、同乗者全員が即死するという思いを振り切ることができない」。鉄道草創期の、英政治家の言葉だという(シベルブシュ『鉄道旅行の歴史』法政大学出版局)。まだ無かった飛行機に乗るかのようなたとえだ。  「二都物語」で知られるチャールズ・ディケンズは1865年6月に列車の事故を体験した。数日後、手紙をしたためる。事故当時の自分の行動を書いていたが、突然、こう記して手紙を終えた。「いまこの思い出の数語を書き記していると、ふと威圧されるのを感じ、わたしは筆を折らざるをえなくなりました」  この事故では、ディケンズは傷を負っておらず、他の乗客たちを助けたという。けがをしなくても、後に、こうした「威圧される感じ」に襲われるという例なのだろう。  尼崎で事故に遭った人たち、その家族や友人、電車に激突されたマンションの住民、そして救助に駆けつけて惨状を見た人たち。様々なトラウマに対し、手厚い心のケアを望みたい。

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2005年05月08日(日曜日)付

毎年ちょうど今ごろから、各地の税務署に同じ要望が届く。「高額納税者リストに出さないで」。長者番付のことだ。載るのは全国でも7、8万人という。  番付に無縁の人々でさえ個人情報の使われ方には不安を覚える。載れば、怪しげな郵便が殺到するし、空き巣や強盗も怖い。切実な悩みなのだろう。  長者番付はいつ生まれたのか。印刷史に詳しい石川英輔さんは「江戸の後期にはもう量産されていた」と言う。長者鑑(かがみ)とか長者控とも呼ばれ、庶民に人気だったという。そう言えば「長者番付」という古典落語がある。田舎の造り酒屋に張られた番付を前に、江戸者が「西の鴻池」「東の三井」とまくし立てる。  鴻池や三井などの財閥が占領下で次々に解体されたころ、いまの長者番付の原型ができあがった。他人の所得隠しを通報すると報奨金がもらえる制度とともに、番付は、「密告税制」を支える柱とされた。報奨金はやがて廃止されたが、番付は残った。  この春に出版された『日本のお金持ち研究』(日本経済新聞社)は、長者番付から年収1億円以上の層を拾い出し、行動や意識を調べた労作だ。著者の京都大学経済学部教授、橘木俊(たちばなきとし)詔(あき)さんが2年前、全国6千人に質問状を発送すると、「詮索(せんさく)するな」「にせの学術調査か」と苦情が来た。  それでも465人から回答が得られた。「協力してくれたら詳しい集計結果を送る」と約束したのが効いたと橘木さんは話す。「ひと様の懐具合は誰でも気になりますから」。番付が生き永らえたのも似たような心理のなせる業だろう。

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2005年05月09日(月曜日)付

ゴールデンウイークが終わって、きょうから大学のキャンパスも活気を取り戻す。講義もそろそろ本格化する頃である。  かつては、英語以外にフランス語やドイツ語を学ぶことは、知的な背伸びをしているようで、大学生になったという実感を持ったものだった。最近は、第二外国語を必修から外す所も出てきて、語学学習の風景もだいぶ変わった。  都内の私大で第二外国語のスペイン語を教えている知り合いによると、年々辞書を持たない学生が増えているという。毎年、最初の授業で何冊かの辞書を推薦するのだが、今年3回目の授業で尋ねたところ、クラス30人のうち購入したのは3人だった。かなり前なら、外国語を学ぶのに辞書を買うのは常識だった。いまの学生が辞書を買わない理由は「高い」「重い」「引くのが面倒くさい」の三つだという。  別の私大のベテラン教員は、一昔前のこんな話を教えてくれた。辞書の持ち込み可でフランス語を訳す試験を行ったところ、ある学生は仏和辞典だけでなく、国語辞典も持ち込んだ。訳文に正確さを期するためだった。これまた失われた風景だという。  いま書店の外国語コーナーをのぞくと、「超やさしい○○語の入門」「10日でマスター」といったようなタイトルの薄っぺらい本であふれている。詳しい文法は省略だ。辞書を買わない学生もこういう本は購入する。  辞書を片手に難解な原書に挑戦するなんてことは今時、はやらないかもしれない。だが、外国語は地道な努力が習得の基本である。それはいつの時代も変わらない。

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2005年05月10日(火曜日)付

先日、JRの尼崎駅に降りた時、時刻表を見た。脱線した電車と同じく、この駅から大阪の北新地などへ向かう線の本数は、朝8時台で上りが13本だった。そして、大阪駅や京都駅へ向かう線の方には、40本あった。東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思った。  JR西日本は、今後の安全策の一つとして、過密と指摘されているダイヤを見直すという。主要路線で便数を減らすとすれば、民営化以来初めてである。重大事故が起きて、ようやく、増発と加速に歯止めがかかりそうだ。  初の減便は、この会社にだけではなく、便利さを求め続けてきた社会にも、歯止めが必要なことを示しているのかも知れない。「便」とは「人を鞭(むち)うって柔順ならしめ、使役に便すること」と、白川静さんの『字統』にある。そこから、「便利」「便宜」などの意となる。「便々」とは、唯々としてことに従うことという。  脱線事故の後の、職員らのボウリング大会や宴会などが指弾されている。いったん計画されたものごとが、何かのブレーキがかからない限り実行されるのは、JR西日本だけに限らない。  しかし、予定外のことが起こったと知れば、責任者は対応を検討し、必要ならば急ブレーキをかけるはずだ。そのブレーキが極めて弱かったか、無かった。現場で救助活動をしなかった例を含め、「便々」とした人が多かったようで残念だ。  脱線事故への怒りや不安に乗じるかのように、線路への置き石や、置き自転車が頻発している。こうした「便乗」はあさましい。

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2005年05月11日(水曜日)付

ブッシュ米大統領が「反省」を表明したという。バルト3国の一つのラトビアを訪問中の発言だ。  45年2月の、米英ソ首脳によるヤルタ会談を「強国が交渉し、小国の自由を犠牲にした」と否定的に述べた。第二次大戦の末期で、戦後の国際秩序が話し合われた。  「強国の交渉」と「小国の自由」からは、ヤルタ会談の4カ月前のチャーチル英首相のモスクワ訪問を思い起こす。「機は熟していた」と、チャーチルは『第二次世界大戦』(河出書房新社)に記している。スターリンに「バルカンの問題を解決しようではないか」と告げ、紙に数字を書いて渡す。「ルーマニア ロシア90% 他国10%/……ユーゴスラビア 50-50%/……ブルガリア ロシア75% 他国25%」。スターリンは青鉛筆で紙に大きな印をつけ、同意を示した。  数字は、強国が小国で保つべき発言力 や優位性の度合いだったという。長い沈黙の後に、チャーチルが口を開いた。「何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理してしまったようにみえると、かなり冷笑的に思われはしないだろうか? この紙は焼いてしまいましょう」。「いや、取っておきなさい」とスターリンは言った。  ブッシュ氏は、ヤルタ協定が東欧をソ連の支配下に置く結果をもたらしたことに言及し、米国の歴史的責任に触れた。それは、バルト3国や東欧からソ連支配への反発を受けているプーチン政権に対する牽制(けんせい)でもあった。  60年後の「反省」を、泉下のルーズベルトやチャーチルはどう聞いたのだろうか。

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2005年05月12日(木曜日)付

42歳で早世した作家、野呂邦暢が芥川賞を受賞した「草のつるぎ」は、陸上自衛隊に入隊した体験がもとになっている。ある日の訓練では「緑色の短剣を逆に植えつけたような草むら」が、小銃を手にして匍匐(ほふく)前進する若い隊員たちに立ちはだかる。  「硬く鋭く弾力のある緑色の物質がぼくの行く手に立ちふさがり、ぼくを拒み、ぼくを受け入れ、ぼくに抗(あらが)い意気沮喪させ、ぼくを元気づける」(『野呂邦暢作品集』文芸春秋)。外の世界では体験できないような隊内での二十歳前後の日々を、躍動的に描いた。  イラクで襲われて行方不明になった斎藤昭彦さんも、二十歳の頃は陸上自衛隊員だった。高校時代から友人に「外人部隊に入りたい」といっており、仏外国人部隊に入隊する。自衛隊は、その過程だったのか。  家族とは、しばらく音信不通だった。最近は英国系の警備会社に属し、バグダッドから米軍基地に機材を運んだ帰りに襲われたという。イラクでの危険は覚悟していたのだとしても、実際に生命が危機にさらされた場面を思うと言葉も無い。  近年、国家の役目の一部を肩代わりするような民間の戦争ビジネスが拡大している。昨年夏にイラクに居た民間の軍事要員は2万人ほどで、アメリカ以外の多国籍軍兵士の総数にほぼ匹敵する(シンガー『戦争請負会社』NHK出版)。  こうした民間企業の活動には規制と監視が無いと、著者は憂慮する。そして21世紀にはこんな格言がいるかもしれないと警告する。「戦争は民間業界に任せるにはあまりにも重要すぎる」

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2005年05月14日(土曜日)付

昭和史の舞台として欠かせない場所の一つに東京・永田町の首相官邸がある。その官邸をできるだけ生かす形で増改築された新しい首相公邸に先月、小泉首相が引っ越した。  29年、昭和4年に竣工(しゅんこう)した旧官邸はライト風とされる様式を基調としている。外観や玄関ホールはそのまま活用され、新しく茶室などができた。  旧官邸を語る時に、まずあげられるのが竣工の3年後の5月に起きた「5・15事件」だ。犬養毅首相が、青年将校らに射殺された。「話せばわかる」という言葉が残る。  この政党政治の終わりを告げた昭和史の日付に、世界の喜劇王・チャプリンが絡んでいる。事件前日の14日に船で神戸に入港し、その日のうちに、東京の帝国ホテルに投宿した。  15日、犬養首相の次男で秘書官の健氏がホテルに来て、首相が歓迎会をすると告げたという。後にチャプリンは、16日に招かれていたように記している。首相の遺品の中には、「十七日午前、チャプリン氏 午後、閣議」というメモがあった。一時、将校らには、チャプリンの歓迎会を襲う案もあったという。チャプリンは気付かぬうちに事件に近づき、そして気付かぬうちに通りすぎていた(千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』青蛙房)。  「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」(『チャップリン自伝』新潮社)。最初の旅で日本に深い愛着を覚えた彼は、計4回来日した。

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2005年05月15日(日曜日)付

去年の5月、東京西郊の公園でチョウチョウをめぐってパトカーが出動する騒ぎがあった。  よく晴れた日の昼前のことだ。数人の男女がそれぞれにカメラを構え、虫や鳥を撮影していた。そこへ保育園児が10人ほどやってきた。「さあチョウチョを捕まえるぞ」。引率の男の先生が捕虫網を配り始めると、カメラを持った男性が制した。「ここではチョウは捕らない決まりです」  先生の記憶では、たちまち険悪な空気になった。「何年も前からここで虫を捕ってきた」と言うと、「羽化したばかりのチョウを捕るのはよくない」と切り返され、口論になったという。撮影の一人が携帯電話で110番に通報し、パトカーが来た。警官は双方から言い分を聴いた。「お気持ちはわかるが、お互いもうこの辺で」  40年前から昆虫の標本作りを教えてきた埼玉県川越市の元教諭、会田冨士夫さん(72)にも似た経験がある。数年前、秩父地方で網を手に夫婦で昆虫を観察していたら、後ろでささやく声がした。「あの人、自然を破壊してるのよ」。若い母親がこちらを指さして、子どもに言い聞かせていたという。  たしかにこの時代、花も虫も貴重な存在だ。それでも、草木を手折り、虫を生け捕りにするのは、幼い世代の大切な体験だろう。「子どもが採集したくらいで絶滅する昆虫などいません」と会田さんは話す。  言い争う大人を見て、園児たちは虫捕りが嫌いになった。網を手に公園へ連れ出そうとすると、今でも「またパトカーが来る」と渋る。あの騒ぎが残した傷だろう。

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